人の死に対する追悼の念や敬虔な気持ちは変わらなくとも、その葬送の儀式や納骨の方法には著しい変化が見られるようになった現代。
かつての葬儀は、家族親族一同は当然、友人知人、同僚、ご近所など数百名規模の参列が当然のように行われ、あたかも人生最後にして最高のセレモニーのようでさえありました。
当然それなりの費用がかかり、老後の蓄えのすべては自らの葬儀費用と自嘲気味に語る高齢の方も少なくありませんでした。
さらなる高齢化が進んでいるにも拘らず福祉環境の整備が立ち遅れがちの昨今では、葬儀や納骨に多大な費用をかけることが現実的に難しくなっているのが現状です。
多くの高齢者が安価な家族葬や葬儀なしという選択をし、跡継ぎの必要ない樹木葬などの自然葬を好むようになった理由はそこに在ります。
樹木葬と骨壺との関係
自然葬の中でも樹木葬はもっともこれまでの埋葬方法に近いものがあります。
〇違う点はたった二つ
①石搭でなく樹であること
②そして埋葬に骨壺を用いないこと です。
〇なぜ骨壺を用いないかというと
骨壺があると骨が分解されず土に還ることができないからです。
骨が土に還りやすくするためにパウダー状にしたり粉砕したりして埋葬するのが樹木葬、目的はあくまでも自然回帰なのです。
粉々になったお骨は自然に溶ける紙や布などに包まれます。
遺族の希望があれば分骨も可能であり、骨を包む紙や布はまさに骨壺の役割をしています。
場合によっては土に還る素材でできた骨壺を用意する霊園もあります。
いずれにせよ、お骨を含めてすべてが土に還り、故人を偲ぶには木の成長だけが手がかりになることに違いはありません。
従来の骨壺による埋葬方法との大きな違いは、やがて跡継ぎのいなくなったお墓からお骨を取り出すことができないということです。
骨壺にお骨を納め埋葬するのは遺しておくためです。
樹木葬などの自然葬の目的は、遺さないということなのです。
その他の自然葬
同じ自然葬でも海洋散骨は趣を異にします。
広大な海へのダイナミックな散骨は一瞬にして消えてなくなるようなあっけなさと船をチャーターするなどの不便さから樹木葬ほどの普及はありません。
そのため、葬送はしめやかに執り行われいつまでも故人を偲んでいたいという遺族の方々の想いと、故人の強い生前願望とのギャップからトラブルに発展することもあります。
骨上げしてからの選択
分骨することが可能なのでいつまでも骨壺を所持して故人を偲ぶことはできます。
樹木葬にせよ、海洋散骨にせよひと通りの葬送の手順を踏まえてからの納骨、散骨になります。
火葬から骨上げ、骨壺に入れ、精進落としといった一連の流れを断ちきることはできません。
骨壺に入った故人のお骨をどうするか?という選択なのです。
骨壺に入り切らなかったお骨が火葬場で合葬されることもあり、必ずしも葬送の手順が厳粛で融通の利かないものというわけではありません。
樹木葬や散骨の場合、骨を金槌で砕いたりパウダー状にしたりして自然に還りやすい状態にします。
その行為に違和感を唱える方も少なくありませんが、形式を重んじるあまり肝心の故人の意志が軽んじられることのないよう配慮しなければなりません。
柔軟さが求められます。
骨壺を埋葬する場合もある
基本的には骨壺を用いないのが樹木葬ですが、多様なニーズに応えるためにさまざまな種類があります。
13回忌まで骨壺で埋葬した後、合葬されたり、土に還元される素材の骨壺で埋葬したりする場合もあります。
けれど、それさえいつかは無くなってしまうことを忘れてはなりません。
自然に還るということを前提に普及の拡がった樹木葬ですが、都市部では樹木葬のための霊園をわざわざ造営するというパラドックスに陥っている傾向もあり、賛否両論です。
アクセスの良い場所に埋葬し可能な範囲、繋がっていたいという遺族の想いと、土に還り樹の栄養素となり死後も花を咲かせたいという故人の願望との融和点がそこなのでしょう。
さらなる融和点の模索が求められます。