あらかじめ許可を受けている樹木の下に火葬後の粉末を撒くというスタイルは、これまでの埋葬とは少し違ったやり方にはなりますが、現代では終活の仕方も様々であり、注目を集めている方法です。
お墓は墓石がイコールな時代が長かったため、まだ一般的ではないものの人気は高まっています。
これまでのようにお墓が墓石ではないことから、その後の供養はどうしたらよいのか、お位牌などは必要なのかは悩ましいところです。
残された人が満足できる結果にするのが1番
樹木葬だと仏壇はいらないのではないかと考えてしまいませんか。
確かに、必ず用意をしなければいけない決まりはないですが、この場合故人の生前の意思を尊重する形になります。
家族の思いも反映されるべきことですから、故人をその後もきちんとお祀りしたいと考えるなら、位牌を準備してお祀りすることです。
結論から言うと必須ではないものの、残された家族がどれだけ満足できるか、お位牌などを準備した方が満足するなら準備をするのが良いですし、不要と判断すれば用意をする必要はありません。
そもそもこうしたものを購入するにあたり、費用は割と掛かります。
仏教への現代人の関心が薄れてきている時代の流れもありますし、住宅環境も一昔前とは異なり、さらに常に誰かが家にいるとも限りません。
お葬式さえ終わらせれば後は年に数回お墓参りに行くとか、外で済ませるだけにしたいという希望の割合も増えています。
仏具店で一通りの商品を揃えるとなると、それなりの大きな出費になることも否めません。
大きな出費になることや家庭環境など、総合的なことを考えて最終的な判断をすることです。
またこうした仏具を購入した後は、日々の仏具のお手入れなど清掃も必要になりますので、将来的なことまで考えるようにしましょう。
位牌を受け継ぐ人間がいなくなったとき
一般的な葬儀と少し異なるスタイルの樹木葬ですが、必須ではないものの仏壇を準備して位牌の供養をすることになったとき、特に何か特別な供養の方法があるわけではありません。
先祖代々引き継いできた位牌を受け継ぐ次の世代がいればよいですが、現代のように大家族とは言えない世の中では、位牌を受け継ぐ人がいない可能性も出てきます。
逆に位牌を処分することを検討するケースも出てきますが、その後の供養方法には頭を悩ませるところです。
誰も位牌を受け継ぐ人間がいなくて位牌を処分しなければならず、供養をするにはどうしたらよいかですが、その場合には永久供養か一時預かり供養があります。
数ヵ月間の間だけ寺院に一時的に位牌を預かってもらう、位牌の一時預かり供養も選択肢の一つです。
その後は一定期間後にまた位牌を引き取ることもできますが、引き取りができない時には位牌を完全処分するお焚き上げをすることになります。
位牌からキチンと魂抜きを寺院で行い、位牌自体を燃やしてしまう方法です。
気を付けたいのは素人がやってはいけないということであり、位牌は故人をお祀りしていますので、むやみに燃やしてはいけません。
もう一つの手段は位牌の永久供養という方法であり、位牌を数十年単位で寺院に預けて、その後に正しい方法で位牌をお焚き上げして処理して供養をする方法です。
費用はそれなりにかかりますが、寺院の方で最後までしっかりと管理をしてもらうことが出来ます。
お仏壇を用意したら毎日のあいさつも欠かさずに
樹木葬を選んだ場合に仏壇も必ず譲位しなければだめというわけではないですが、一般的なお祀りと同じように位牌を用意することは出来ます。
位牌に関しても何か別途特別に手配をするということはなく、種類もある位牌ですから費用相場も把握をして選ぶことです。
最も身近なのは塗り位牌であり、金粉や蒔絵といった装飾が施されている漆塗りのタイプであり、費用面は漆の種類で変わってきます。
板位牌の一つなのが唐木位牌であり、ベースは木材で紫檀や黒檀などを使用しているタイプです。
現代的なデザインが採用されているのはモダン位牌であり、洋室も増えた現代の住まいの中にもしっくりきます。
故人の戒名が書いてある板が何枚も入ったのが、回出位牌や繰出位牌です。
いったん仏具を購入して家の中へ設置したら、ずっとあるものですし若い世代へと引き継いでいくものであり、日々のお掃除やお供えなども必要になります。
ご先祖様のいらっしゃる場所ですから、1本でもよいので、できれば生花を飾るようにして家族は毎日あいさつを欠かさないなど、定期的にご先祖様に対しての礼を尽くすことも必要になります。
お水やお茶などをお供えしたり、お菓子や果物をお供えも特別な日に限ってするわけではありません。
墓石のお墓とは異なるスタイルだけにその後のお祀りの仕方は迷いますが、お位牌など仏具を用意するかどうかは残された人の判断にゆだねられます。
残された家族が最も満足できる選択をすることで、仏具を購入するかどうかは決まりますので、家族でよく話し合うことです。